忘れる
2020/10/24
高島市の放課後等デイサービスのみんなの木で働くスタッフです。
大学の時は、英語の教員免許を取得するために教職課程を履修していました。
教育学を学ぶ上でかならず一度は名前を聞く、「エビングハウスの忘却曲線」。それを提唱したエビングハウスさんは印象深い言葉を残しています。
「人は、忘れる生き物である」
本当にその通りだと思います。
私達のような職種は、立ち振舞いや言葉遣いはいつも子ども達のお手本でなければいけないと思っています。少しでもそうできなかった場面があると反省します。
でも、忘れないことってとても難しくないですか?大人でも。むしろ、大人の方が絶対にいろいろなことを忘れていますよね。でも、エビングハウスさん、大人とか子どもとかそういう垣根を超えて話をしてくれています。なのに、忘れ物のこと、何かを忘れてしまったこと、それに対して子どもたちをとがめることに正当性があるのかと、つくづく思ってしまいます。
子どもたちに何かを伝えるとき、大人の伝える情熱と子どもたちの冷めた目との温度差で良い結果にならないことが多々あります。それでも伝え続けていこうと思える原動力は一体どこにあるのか?それは「どれだけがんばっても完璧に忘れ物をなくすことなんてできない」という揺るがない事実にあると思います。
スケジュール帳やリマインド、手にメモ書き、私たちは日々忘れ物に対して万全の対策を取ります。でも忘れます。多少の忘れ物のレベルは誰にでもあると思いますが、発達障がいを持っていると言われている子はより忘れ物が顕著だと言われてしまうことがありますね。でも、「完璧に忘れない人なんていない」と考えると、子ども時代の忘れ物なんて、長い目でみたら小さなことだと思うようになりました。もちろん、私たちは仕事で子ども達と関わっているので、記憶に長く留めておけるような認知トレーニングをしたり、専用のノートを作って、家に帰る際の忘れものがないか一緒にチェックしたりもしています。でも、みんな「忘れる」んですから。完璧にできていないことに対する声掛けを、もっと上手にできるようになればなと思う日々です。